落語・講談によく出ることば

増補・話芸きまり文句辞典──編:松井高志

別館・あ

あいかた【相方・敵娼】 客の相手をする遊女のこと。この場合「敵娼」と表記することが多いが、落語に出る「あいかた」は大抵コチラの「敵娼」。また、「男女芸者で歌をうたう者に対して、その三味線を弾く者」の意もある。この場合は「相方」。漫才コンビでいわゆる「相棒」のことを「あいかた」と呼ぶのは、ここから出たものと思われるが如何か。「このとき、若旦那の敵娼にでましたのが、浦里というおいらんで、ことし十八の絶世の美人」(『明烏』より)
 
あいくち【匕首 鍔のない短刀。柄口と鞘口とが直接合うように作ってあるのでこの名がある。人情噺や世話講談の必須アイテムの一つ。「かねて用意の匕首を取り出して」(『阿弥陀池』より)。
 
あいみたがい【相身互い】 「相身互身」(あいみたがいみ)の略。同じ境遇や身分などの人は、互いに同情し助け合うべきである、の意。話芸によく出る諺に「武士は相身互い」がある。「武士は相身互いでござるから」(『粗忽の使者』より)
 
あいや【あ・いや】 感動詞。よく侍が人を呼び止める時に「アイヤ待たれい」などと用いる。「コレコレ」「あ、もし」の意であるが、大抵これは根性の悪い侍が行きずりの者に因縁をつけようという時の台詞である。「あいや暫く、かくいうこの方も天狗を退治いたさんために前刻来これにて相待ちおる者」(講談『宮本武蔵』より)
 
あかがっぱ【赤合羽】 赤色の桐油紙で作った袖合羽。武家の下僕が雨中に着用する。転じて、中間の異称にもいう。『赤穂義士銘々伝』の赤垣源蔵が、雪の中、別れを告げるため兄の屋敷を訪れる時、饅頭笠に赤合羽という下僕の装いに身をやつしている。
 
あかにし【赤螺】 螺貝の一種だが、蓋を閉じて開かない様子を、ケチな人が金を握って放そうとしないのにたとえ、また殻の形が握り拳に似ている(サザエのようだがツノがない)ことから、ケチなこと、ケチな人=吝嗇家をさす。落語『片棒』に出てくるケチな資産家は「赤螺屋吝兵衛」(あかにしや・けちべえ)。
 
あくたいもくたい【悪態もくたい】 元は「あくたもくた」(芥藻くた)という語。すなわち「芥藻屑」のことで、ゴミ、有象無象(くだらぬ者・物)、特に悪口雑言をさす。この「あくたもくた」の前半を「悪態」ともじり、脚韻を揃えて「もくたい」として、表現を強めている。江戸言葉にはこういう強調がよくある。「苛めたり、悪態もくたい」(講談『新門辰五郎』より)という用例があるから、今風に言うと悪意あるデマやいわれなき誹謗中傷をも意味していると言えそうだ。
 
あこぎ【阿漕】 貪欲、しつこいこと、欲深なこと。むさぼるように何かをすること。また、無理無体、無茶で酷なこと。伊勢国の歌枕(地名)でもある。「あふことを阿漕が島に引く網の度重ならば人も知りなむ」という有名な和歌があり、話芸では、「阿漕が浦(に引く網)」とこの歌を示して、秘密(繰り返し行なわれる不倫関係・不義密通など)が露見するのを表現することがたびたびある。「度々遭うておりますうちに、阿漕が浦に曳く網というやつで、軍太夫の耳に入る」(『怪談市川堤』より)
 
あた【あた】 接頭語。嫌悪感を述べる語の上に冠して、その感情を強調する働きをする。「あたいまいましい」「あたいやらしい」「あた嬉しい」(←「全く嬉しくない」の意)などのように用いるが、落語や講談で聞かれるのは「あたじけない」だ。これ「あた湿ない」で、意味は欲深い、けちくさい、みみっちい、卑しい、というところ。「行灯に灯を入れ、藍繪の染附の手焙へあたじけない火種を取りまして」(講談『梁川庄八』より)
 
あたぼう【当坊】 当然、あたりまえの意。落語「大工調べ」などでは、「当たり前だ、べらぼうめ!」の略とされているのだが、実は「あたりまえ」の後ろを略して「坊」をつけ、擬人名語にしたものだという。「八百位やらなくツてもアタボウだ」(『大工調べ』より)
 
あつかわ【厚皮】 よく「鉄面皮」とあて字される語。面の皮が厚い、すなわち厚かましい、恥知らずであるの意。「鉄面皮な奴」などと用いる。「そこィ旦那がお出になれば、どんな鉄面皮なやつでも」(『王子の幇間』より)
 
あとしらなみ【跡白浪】 (「しらなみ」を「知らない」にかけて)物事のあとがどうなったかわからないこと。去っていって、ゆくえが知れなくなること。また、姿が見えなくなることにいう。落語では大抵悪いヤツが行方をくらますこと。逐電すること。「あと白浪とその日限り。三隅亘、逐電をいたしました」(『片袖』より)
 
あなっぱた【穴端】 本来は「あなばた」と読むのだろう。墓穴のへり・ふちのことである。年をとった者に対して、「穴端に腰をかけた奴」などと悪口を言う。これは「余命いくばくもない」とか「老い先短い」の意。江戸語は罵倒語句の宝庫と言えるが、こういうのもその一つだ。そうなると「あなっぱた」と読んだほうが似合う気がする。「エー穴端へ腰を掛けた奴は仕様のねえもんだ」(講談『祐天吉松』より)
 
あぶらむし【油虫 遊里の言葉で、素見(「ひやかし」)のこと。遊女の張見世(盛装して居並び、登楼客の見立てを待つこと)を眺めてあれこれ批評するばかりで結局登楼しない者。また、芝居でいう無銭見物客のこと。タダ見の客。いずれにせよ、店にとっては利益にならぬ邪魔者。芝居『塩原多助一代記』序幕にみられる。
 
あまじおのさんま【甘塩の秋刀魚】 抜身の刀剣(長脇差)を言い表すときの比喩。「甘塩の秋刀魚みたようなのを引っこ抜いて……」(講談『清水次郎長』より)などと用いる。
 
あまっちょ【尼っちょ・阿魔っちょ】 「あま」は女性を卑しめて呼ぶ語で、語尾の「ちょ」とは「ひと」を縮めた「と」の訛りだという。自分の娘について用いれば謙遜語になる。人情噺『文七元結』で左官・長兵衛は娘・お久のことを「年頃の一人娘の阿魔ッ女(あまっちょ)が今朝出たきり帰らねえんで」と言っている。
 
あやめ【文目】 模様・色合いという意味と、物のすじ、条理、区別という意味がある。たとえば、怪談噺などで「文目も分かぬ真の闇」などという時は、前者の意味がより強い。物の形さえ見分けられぬほどの真っ暗闇、ということ。「文目さえ見えぬ」(講談『宮本武蔵』より)
 
ありがたなみだ【有難涙】 危ういところを善意によって救われたり、失うべき命をとりとめたりしたので、ありがたさ、感謝の念から思わず溢れてくる涙のこと。「有難涙にくれる」(講談『寛永馬術』より)と用いるのが定番。
 
ありがたやま【有難山】 こちらは「ありがたや」という感謝の念をわざと茶化して表現する時に用いる語。「ありがたや」の語尾を「山」に変え、さらに「山の鳶烏(とんびからす)」「山の寒鳶(かんとんび)」と続け、そこへ「ヒュウトロトロと嬉し鳴き」などと言っておちゃらけてみせる。「結構毛だらけ猫灰だらけ」に通じる茶化したニュアンスで、大げさにありがたがって見せない。江戸っ子の羞恥の表れだろう。講談『安政三組盃』などにみられる。
 
ありんす【有りんす】 「あります」を意味する吉原語(廓言葉)。この語に代表される廓言葉は、地方出身の遊女の方言を矯正するためのものだと聞くが、本当のところは筆者にもわからない。吉原のことを別名「ありんす国」と呼んだ。「日本からありんす国へ壱里半」(講談『玉菊燈籠』より)という句がある。
 
あんけらそう【あんけらそう】 罵倒語のひとつ。この「あんけら」とは、「あっけにとられた様子」、転じて阿呆、馬鹿という説が有力なのだが、「安家来」、すなわち下級の家来、折助(おりすけ=武家奉公する仲間のこと)をいう、との説もあるらしい。落語『夢金』で、悪い浪人をまんまと騙して大金をせしめた船頭が浪人に向かってつく悪態の中に含まれる。ということは、侍を軽んじていう言葉なのではないかと筆者は思う。
 
あんにゃもんにゃ【あんにゃもんにゃ】 これも人を罵る時に用いる語で、「分からず屋!」というような意味。元は「なんじゃもんじゃ」で、その地域に見慣れない大木のことをこう呼ぶ。「き(気・木)が知れぬ」という洒落だろうか。「ふん。一と人でいい男がってやがら…あんにゃもんにゃ……こっちにゃ他にいい人がついてるんだよ!」(『首ったけ』より)
 
あんべえしき【塩梅式】 「あんばいしき」の江戸訛り。「塩梅」は元来味加減のことだが、転じて物事の工合、調子のことをいう。「〜式」は接尾語。現代で言うと「〜的」というようなニュアンスに近いか。「まるで飯の上の蝿でも追うような塩梅式」(講談『伊賀の水月』より)
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